標高461m
織田氏に抵抗した一揆の舞台、大倉城
戦国時代、長沼島津氏の詰城として機能した。川中島の合戦後廃城となるが、天正10年(1582)武田氏滅亡後、川中島四郡を支配した織田信長の家臣森長可に対して、上杉景勝と手を組んだ芋川荘(現飯綱町芋川)の芋川親正を大将とした一揆が抵抗、大倉古城を修築して籠城した。『信長公記』によると、激戦の末に1,250余人が城外で討ち取られて落城し、城内に残っていた女性や子ども1,000人余りが虐殺されたという悲劇の舞台。尾根上に郭を連続配置し、堀切によって防護しており、堀切の規模は県内最大級である。
大倉城跡トレッキングガイド
本郭往復(約30分)コース
- 正面登り口
- (15分)
- 大倉城跡(本郭)
- (15分)
- 正面登り口
周回(約1時間)コース
- 正面登り口
- (15分)
- 大倉城跡(本郭)
- (15分)
- 牢場口
- (5分)
- 西側登り口
- (15分)
- 正面登り口
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❶ 一の堀
大きな堀が階段状に整備されている。手前にベンチがあるので休憩ポイントにどうぞ。
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❷ 二の郭
下段と小さな上段に分かれている。
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❸ 本郭
案内板や祠がある山頂からは、東側の眺望がよい。
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❹ 井戸郭
本郭から一段低いところに、井戸の跡が残る。
大倉城跡トレッキングMAP
大倉城跡のトレッキング情報をまとめてご覧いただける「トレッキングMAP」をご用意しています。
トレッキングのお供にぜひご活用ください。
アクセスマップ
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車でお越しの場合(PDF)
※工事など諸事情により経路が変更になる場合があります。
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公共交通機関でお越しの場合(PDF)
※時刻表の時刻は変わる場合があります。交通事業者ホームページ等で最新の情報を確認してください。